死に急ぐ鯨達

鯨の集団自殺は謎めいている。かなり高い知能をもっているはずの鯨の群れが、とつぜん狂ったように岸をめがけて泳ぎだし、浅瀬に乗り上げ、座礁してしまうのだ。いくら追い返しても逆らうばかりで、そのまま空気に溺れて死んでしまう。何かにおびえてにげようとしているのだろうか。鯨を恐がらせるものと言えば、海の猛獣といわれるシャチか鮫だろう。しかし鮫のいない海域でも見られる現象だし、シャチ自身が鯨の仲間で、やはり集団自殺をくわだてるのだ。そこで、もしかすると溺死の恐怖におびえた鯨が海から逃れようとしているのかもしれない、と言う説さえあらわれた。海の生物が溺死を恐るというのは逆説的で、考え方としてはたしかに面白い。鯨は魚ではなく、もともと肺で呼吸する地上の動物だったのだから、ことと次第によっては先祖返りして水による窒息死に恐怖心を抱きはじめないとも限らないわけだ。寄生虫か細菌に脳をおかされ、浮上する力が失われたとき、可能性としての溺死におびえるあまり、現実の死を見失うこともあるだろう。
人間だって鯨のような死に方をしないという保証はどこにもない。

安倍公房



鯨の集団自殺の謎が解明されようとされまいと

鯨が逃れるべき浅瀬が我々にはもはや残されていない